日本のミュージアムショップ、ミュージアムグッズの誕生とその背景など (2)

日本のミュージアムショップ、ミュージアムグッズの誕生とその背景など (2)

 

国公立ミュージアムのショップの誕生と発展

 ざっと1980年代半ばから2000年ごろまでの状況を見てみた。では、日本のミュージアムショップの流れを主な国公立ミュージアムのショップから見てみよう。

最初に物販施設を「売店」ではなく「ミュージアムショップ」と位置づけ、作ったのは、昭和52(1977)年に開館した大阪・千里の国立民族学博物館(以下、民博)である。昭和45(1970)年に開催された万国博覧会の会場跡にできた同館は、世界の諸民族が使っている日用品を集め、ケースに入れずに露出する展示方法を生み出すなどなどさまざまな新しい取り組みをしたが、物販や飲食施設についても同様だった。利用者へのサービスを高めるために、民博の友の会運営も含めたさまざまな支援事業を担う千里文化財団をつくり、そこで収益事業も行うことにしたのである。しかし、このように新たに財団を作るということは、基金など初期にかかる費用が多額なこともあり、ほかの公立のミュージアムへの波及はあまりなかった。前述のように80年代後半にならないとミュージアムショップやグッズの概念が輸入されてこなかったし、国公立の施設では直営で収益事業ができにくい仕組みなのである。民博は、まさに関西の気質、さまざまな研究プロジェクトを行ってきた初代館長・梅棹忠夫氏の発想と実行力によるところかもしれない。

 十数年が経って、前述のように平成2 年、上野の東京国立博物館に本格的なミュージアムショップができた。同じ上野の杜の国立科学博物館も平成6年にミュージアムショップが広く明るい売り場となってリニューアルオープンする。恐竜や植物をモチーフにした魅力的なオリジナルグッズも生まれている。平成9年(1997)年には国立民族学博物館ミュージアムショップも20年ぶりに一新する。ミュージアムショップが利用者サービスに重点をおき、広報宣伝、収益面でも重要であることを認識し、計画の段階から館のコンセプトにきちんと位置づけ、経営方針や経営形態、店舗設計、グッズ開発、商品構成など検討を重ね取り組んでゆく。さらに、平成19(2007)年度からは国立博物館、国立美術館が独立行政法人となり、入館者や収益の増加が求められるようになった。すると、この動きに拍車がかかってゆく。

 なお、企業や個人による民間立のミュージアムでは、入館料収入を補う収益施設として、また利用者サービスとして早くからミュージアムショップを設置していた。企業人としては、ミュージアム経営を行うにあたっては、入館料だけでは経営が成り立たず、かつ来館者はゆったりとした時をカフェやレストランで過ごし、ショップで何かを購入して記念にしたいという欲求に対応する方策を心得ていたのである。日本庭園と横山大観コレクションで有名な足立美術館(島根県安来市)は開館の昭和45年から、ストーンミュージアム博石館(岐阜県恵那市)も開館の昭和61(1986)年からショップをオープンしている。ほとんどが直営方式だが、関連会社に経営を任せるケースもある。

 

ミュージアムショップの特徴とその経営

 さて、ミュージアムショップはどんな特徴があるのだろうか。一言でいえば、「ミュージアムのコンセプトが品揃えや雰囲気に反映された物販施設」とすることができる。90年代前後、ミュージアムショップは「もう一つの展示室」といわれてきた。そのくらい物販の収益施設といえども、ミュージアムとの密接な関わりを謳ってきた。今となっては、そこに「コミュニケーションの場」という言葉が加わるだろうか。個性的で質の高いミュージアムグッズがいろいろと開発されてきたことで、ミュージアムショップも成長してきた。所蔵品などのオリジナルグッズの品揃えをすることと、そこにポップや季節感を表した工夫あるディスプレイをする。利用者と新たなコミュニケーションを生む場であり、機会なのである。

 

 改めてミュージアムショップの特徴をまとめてみよう。

一般の物販店と比べると、大きく違うのは、まずはその立地が選べず、ミュージアムに付随することである。おのずと営業時間も制約を受ける。また、商品やその構成もおのずと限定され、展覧会の内容によって客層や商品も変化する。とはいえ、オリジナルグッズは流行に左右されにくいのでロングセラーになる可能性がある。ミュージアムショップのコンセプトや経営計画のポイントとしては、館の設立目的、所蔵品や展示品の内容、立地、来館者層、来館者の目的、さらにショップからアピールしたいことなどを観点から絞り込んでいく。それを踏まえて、商品構成や価格帯、什器、ディスプレイ、販売員数、営業時間、季節変動を加えた収支計画を立てる。なお、これらはミュージアムの建築設計に左右されることが大きいので、ショップの位置、面積、形、バックヤードの位置と面積、什器、休憩スペース、さらに小さなミュージアムの場合には受付員が販売員をかねる場合も想定されるので、建築設計の段階から位置や動線、什器を計画することが肝要となってくる。ちなみに、来館者数、客単価を踏まえて一般の企業にテナントとして入ってもらえない規模のミュージアムショップの場合、友の会などの関連組織のNPOなどと協力することもある。

 

ミュージアムショップ、グッズの今後の展望 

 私も一時期、ミュージアムグッズの開発に携わってきた。そこでは全体の予算から、何をテーマにし、どう作るか、いくつ作るか、デザインのコンセプトなどの選択が迫られる。それらの要件は同じとしても、近年はITなどの発達によって、画像データがたやすく製品化につながるようになり、ものによっては小ロットでの制作も可能になってきている。一方で、グッズの内容もその時々で変化がある。90年代に多くあったテレフォンカード、日本ならではの文化であるハンカチ、その後に生まれた携帯ストラップなどミュージアムグッズといえども流行に左右されるのである。ゆえに、SNSの発達してきた現代とあれば、ホームページなどでの販売にも注力していきたい。その場合も、ショップやグッズの画像、動画についての情報も魅力的にしなければならないだろう。

そういうことを踏まえると、ミュージアムショップ経営やグッズ開発については、いわゆる「学会」の研究発表にはなじまないと思える。学会での発表は、研究者や研究者予備軍といえる人々によるものだからである。なので、ミュージアムショップやグッズの検討については、もっと垣根の低い会合などでそれぞれの事例を報告し、意見交換をすることのほうが成果が上がるのではないだろうか。

 

 例えば、平成28(2016)年に岐阜県の美濃加茂市民ミュージアムで開催された「おどろきとこだわりのミュージアムグッズ展」は大好評であったし(写真)、令和2(2020)年1月に開催された岐阜県博物館協会の研修会「ミュージアムショップの経営」では、小規模館で館の直営による事例の報告があったが、そちらも大変に盛り上がった(写真4 )。瑞浪市化石博物館では、化石に若いママたちも興味を持ってもらおう、かつ化石ファンにも納得してもらえるようなキャタクターを学芸員が作りあげ、グッズ展開して好評を得ていること、美濃加茂市民ミュージアムは開館前からミュージアムグッズ開発に可能な基金を作ってオリジナルグッズ開発を年々行なっていること、四日市市立博物館では近隣の菓子店などと協力して半オリジナルな商品を販売していること、岐阜県美術館ではボランティアのワークショップとしてミュージアムショップの什器を改装したことなどが紹介された。岐阜県博物館協会では、その数年前にミュージアムグッズについての研修会がもたれ、私も講師として呼んでもらった。

 不思議なことに、ミュージアムショップやグッズの事例となると研究分野の違う学芸員たちも事務職員たちもともに盛り上がる。お互い「ショッピングする」という日常に帰る一点で共通会話が生まれるからだろう。そのグッズは好き、嫌い、高い、安い、こうしたら売れそう、そうかな…、などとミュージアムを根底に共有しながらも、それぞれの個性たっぷりの気分が発せられ、解放されるのである。こういう機会が、固定的、閉塞的にならないショップ経営やグッズ開発の原動力になるだろう。

 ミュージアムは、歴史系、美術系、自然史系、科学系など、さらに大規模館から小規模館まで多様なのであるからミュージアムショップの経営もグッズ開発も多様であっていいし、そうならざるを得ない。ミュージアムショップは収益施設でもあるが、第一に利用者サービス、そして教育性をはらんだコミュニケーションの場として捉えることによって、さまざまな取り組みに期待と希望が持てると確信している。

 

 

 

「博物館研究」Vol.57 No.9( No.652)令和4年8月25日発行

山下治子 稿「日本のミュージアムショップ、グッズの誕生とその背景、課題、今後への望み」より、抜粋、転載