スペシャルインタビュー 『総覧 縄文土器』編者・小林達雄氏

   【スペシャルインタビュー】

弊社刊行のミュゼ85号にて、編者・小林達雄先生のスペシャルインタビューが実現しました。全文を転載いたします。

 

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───「古稀記念出版」の本書ですが、この企画はどのようにしてできたのでしょうか。

 

 

 還暦、古希、喜寿などの記念としてお弟子さん筋を中心とした人たちが論文を一冊に集録し、それを献呈するという形があります。しかし、僕はどうもそういう風習のようなものに懐疑的でした。そういう私が、その立場になってしまった。いろいろ提案や助言もあったけれど、どうも納得できず、かといって高邁な哲学があったわけではない。そう思いあぐねているうちに、ならば一緒にやれることがあるとすればいいなとひらめいたわけです。

 

 縄文土器の様式ごとに、ちゃんとした研究者が一つの様式について論述する一冊の研究書ができたらいいなというのは前々から私の夢でもありました。ただ、100 以上ある様式ですから、それは現実にはとても難しい。

 そこで、それならばそのエキス版というか、概要版はどうだろうか。それなら可能性が見えてくる。それに全体を見渡せるというメリットもある。そうして企画されたのが、この『総覧 縄文土器』でした。

    

 

 

───全国各地域で活躍されている研究者が執筆者となっています。

 

 僕はこれまで、シリーズ本の編集責任者として幾つかの企画を実現してきましたが、そのときも、この大学は好みだとか、この大学は違うとか、そういう観点から執筆をお願いすることはありませんでした。ですから、今回もいままでのやり方で執筆者が結集できたということだと思います。

 

 とくに、縄文については同じ大学の研究者だけでなく、いろんな人が研究しているわけです。僕はそういう人にも十分とはいわないまでも目を配っています。いわばスクール(学派)として、一緒に学んでその成果を研究発表の場として出す方法もありますが、それを超えて縄文の研究、縄文土器の研究を一緒に集大成して、今後にも継承されていくはずの土台作りをしようと呼びかけたわけです。

 

 これまでの研究の成果、あるいは現代的な問題点など、今回の本は将来の縄文土器の、いわばコーナーストーンになるべき内容をもっていますので、できるだけ研究者それぞれの長所を結集できれば、内容の充実が期待できると思いました。

 

 そこでの大きな問題は果たして、僕が交響楽団を指揮していいのかということです。たとえば、カラヤンであればカラヤンの音を出すわけですが、そういうことが可能かどうか。それは自分の我を通すとか、自分の考えだけを通して他を否定するのではなく、自分がやってきた、具体的にいうと「様式・形式・型式(ようしき・かたちしき・かたしき)」、この概念は縄文土器の研究には絶対欠かせないのですが、それを最低限踏まえて、同調してくれるのかどうかということです。それを容認して集まってくれるのであれば、一番理想的で、それができなければそれはダメだったわけですけど、幸いにして声をかけさせて頂いた人たちは、一応、私の様式・形式・型式を踏まえて、やりましょうということを合意してくれたわけです。その点は非常に統一のとれた研究書になりました。

 

 自分でいうのもなんですが、これは画期的なことです。こういったことを具体的に推進してくれたのが、編集委員の人たちです。私は方針を掲げて、それにます編集委員が賛同してくれ、編集委員の働きかけで、研究執筆者がよしとしてくれた。そういう成果があった。こういうことは今までなかったと思いますよ。一つの土器の研究で、ぶれない視座で、今後これが評価されるというのは、視座から評価してくれればいいので、個々の内容については粗密は当然でてくる。一番大事な縄文土器研究の、枠組みが一つ実現できた。理想的なカタチでできた。

 

 

 

───第3部では、縄文土器研究のさまざまなアプローチを見ることができます。

 

 個々の土器様式について、研究史を見渡し、様式の内容を具体的に明らかにするというほかに、縄文土器の研究は、製作の仕方、利用のされ方、現代での活用などさまざまな課題があるということを第3部で示すことができました。現時点での研究の集大成をするということにつながりました。まだ

まだ足りないテーマもありますが、今後の研究はこれを踏まえて、さらに発展していく状況づくりができたという、大きな力を示すことが出来たのではないかと思う。

 

 日本の縄文土器の研究という枠を超えて、世界的な内容といいましょうか、研究書として評価されるべきものになるでしょう。しばしば日本の考古学や日本の縄文というのは、土器ばかりじゃないかとか、人間ばかりじゃないかと批判され、自分たちも引け目を感じたりもしていました。しかし、ここに縄文土器の総合的な研究書としての枠組みを整えることができました。内容にもこれまでの研究の到達点と、これからの新しい地平を展望する踏み石になるだろうと思います。

 

 

 

───お一人お一人の論文にすべて目を通され、アドバイスを書き込まれていました。 

 

 執筆者たちの原稿を読むことは、私にとっては喜びでもあり、自身が欠けていた視点も勉強させてもらいました。気になった表現や記述については書き込みしましたが、やはり言葉は一つのテクニックであり、訓練も必要です。独りよがりの表現は困るので、執筆者のなかには不愉快に思った人がいたかもしれないが、それは一緒になってより内容が伝わるような文章にしましょうねという気持ちでした。僕自身もそうやって、先生方に指摘され、苦労して自分なりの文章の表現をしてきましたので。

 

 

 

───編集の過程では、たくさんの大学院生や若い卒業生に手伝っていただき、たいへんありがとうございました。これは編集部からのお礼でもありますが。

 

 企画段階、その目指すものを確認する段階、そしてそれを説明し合意を得て力を結集する編集というのはとても大事なことで、編集とはそうした個別の、個性的な内容を集め、全体の中に位置づけ、それによって一つの主張や内容が形成されるべきものです。形にするためには、並べ方の検討、概観するための編年表、あるいは分布図作成など具体化するというのが大事なのです。

 

 大学院生や若手の卒業生らを中心にして、作業を分担してもらいましたが、実はそれがそのまま縄文土器研究に携わったことの証にもなると思います。編集に携わりながら新しい形の内容や情報として、組み直し、あるいは組み替えてそれを提示することができるということは、重要なことだったと思います。

 

 最後に、「苦労は買ってでもやれ」という話をして、苦労をかけたなと引け目を感じるのではなくて、逆に恩を売るぐらいのことでないと、私はここに坐ってられない。(笑)。「苦労は買ってでもやれ」という言葉を忘れないでくれ、そういって私の罪を、軽減してほしいと。(笑)

 

 

───ありがとうございました。